速水奏の映画メモ

アイドル・速水奏が古今東西の映画について語る企画『速水奏の映画メモ』

夏目友人帳 うつせみに結ぶ(2018)

水奏の映画メモ

じ時を生きている者でも、心からわかり合うに艱難すること避けられず、況や違う時の流れを生きる者となればその道程の険阻なこと計り知れず。八百万の人ならざる者が跋扈するこの島嶼にあっては、古来から異類婚姻譚を初めとする『あやかしもの』との交流の物語の数は枚挙に遑がない。我々のエスニシティはなぜかくもあえかな憧憬を求めてしまうのだろうか。

 智を超えた者を祀り、救いを求め、憎み、加護を祈りながら遠ざける営みのうちに芽生える泡沫の慕情は、やがて彼らに剥奪されたはずの人格を賦与し始める。この背馳こそが、有限の存在である我々の、形を変えた不変への悋気にも似た渇望なのかもしれない。散らぬ花には有難みなどないことを知りながら、その散り際に嘆息を隠せない我々の心と、あやかしものとは永い時間を経て紐帯を確かに涵養してきたのであろう。「儚いものにこそ夢を見たくなるもの」、と速水奏は優しく我々の凍てついた頬に手を差し伸べる。それはまるで、いつ終わりが来るとも知らぬからこそ、刹那の美に焦慮する我々を暖かく揶揄うように。

 

 (文責・鷺沢文香)

  

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 夏には「もう一生涼しくなんてならないかもしれない」、なんて思っていたのが嘘のよう。雪というのは儚くて、それでいてなんだか色んなものを象徴しているようで、ズルいわね。

 

 以前、『蛍火の杜へ』という作品をこの映画メモで紹介したわね。

 原作は同じく緑川ゆき、総監督としてやはり大森貴弘がメガホンを執った黄金コンビの『夏目友人帳』劇場版の話を、今日はしたいと思うの。

 『夏目友人帳 うつせみに結ぶ』、2018年9月公開、105分のアニメーション映画。

 

 『蛍火の杜へ』が恋人同士の恋愛だとしたら、今作『うつせみに結ぶ』はさながら通じ合った親子の間に滔々と流れる穏やかな空気のような、お気に入りのマグカップから立ち昇る暖かい湯気のような、そんな慕情の形だと思ったわ。

 


映画『劇場版 夏目友人帳 ~うつせみに結ぶ~』予告編

 

 祖母・レイコが妖怪から奪った名を纏めた『友人帳』――その帳面に名を書かれた妖怪は帳面を持つ者に従わねばならないという、強大な妖具を引き継いだ夏目貴志(CV.神谷浩史)。人には見えないものが見えてしまうために苦労も多かった彼だけれど、藤原夫妻に引き取られてからは心穏やかな暮らしを送っており、レイコを知る大妖・斑(通称ニャンコ先生・CV.井上和彦)を用心棒に、いちどは毛嫌いし忌避したあやかしもの達とも素敵な関わり方を続けているの。友人帳に名のある妖怪に名を返すことで、レイコを知る妖怪たちの持つ彼女に纏わる記憶を知ることができる。夏目と同じく、人に見えないものを見る力に秀でていたレイコはそのせいで周囲から孤立し、いつしか彼女の方から人と係わろうとしなくなってしまった。その彼女のことを知るあやかしたちとの関係は、夏目にとってもかけがえのないものになりつつあったのね。

 

 彼がいつものように名を返したあやかし「もんもんぼう」(CV.小峠英二)。壁伝いに移動するこのコミカルな姿の妖怪の記憶に出てきたのは、落とした鈴を拾い渡すレイコに、拒絶する様に踵を返し走り去る女学生の姿だった。折しも夏目はクラスメイト・笹田純(CV.沢城みゆき)の弁論大会の応援に駆け付けた会場で、昔暮らした街で僅かな間だが通った学校の同級生・結城(CV.村瀬歩)と偶然に邂逅し、あやかしと、それを見る夏目に対する人々の苦い記憶を取り戻していた頃だったのね。

 そんなとき、夏目は塔子さん(CV.伊藤美紀)のお使いで五丁町へと足を運ぶことに。そこはもんもんぼうがもともと居た街で、それはすなわちレイコが鈴の少女と出会った街でもあった。用事を終えて帰路につく夏目は、まさに彼女たちが向かい合ったあの坂道で、初老の女性の落とし物を拾ってあげたの。手渡すと、懐かしそうに微笑む女性。彼女こそ、あのときの鈴の少女・津村容莉枝(CV.島本須美)だったのよ。彼女は今も五丁町に住み、そして息子の椋雄(CV.高良健吾)と二人で切り絵を活計の術として暮らしていたのね。彼女の招きに応じてレイコの話を聞く夏目。その話ぶりからは、もんもんぼうの記憶から伺い知った拒絶や冷笑は感じられず、またレイコと交わることを良しとしなかった人々が家庭を持ち、暖かく暮らしていることにもやもやしたものを抱えていることを、夏目はニャンコ先生に吐露するのだった――

 

 ニャンコ先生の体についてきた妖樹の種子から芽吹き生った三つの実。それを食べたニャンコ先生が三匹の小ニャンコ先生に分裂してしまうのは面白くて、そして深長なシーンよね。ふざけたナリだけれども力の強い大妖で、用心棒としての安心感を副えて来たニャンコ先生が無力化されてしまうことで、夏目は自分の力で困難に立ち向かわなければならなくなる。小ニャンコ先生を前に、言葉が通じなくなっただけでこんなにも不安に駆られるのかと述懐する夏目の沈んだ声音が胸に来るわ。心を通わすための言葉、それすら奪われてしまったなら、どうして心を繋ぐことができよう……周囲と上手くやっていけなかったレイコや夏目の斜に構えたざらつく情感と相俟って、いちど築いた信頼が壊れていくことへの計り知れない恐怖が重大な伏線としてここで織り込まれるの。

 

 夏目を慕う妖怪たちの助力や夏目の力のことを知っている友人・田沼要(CV.堀江一眞)の協力も得て、ニャンコ先生を元に戻そうと奔走する一同。そうするうちに、原因が津村椋雄にあることが判明するの。彼こそこの事件の発端となったあやかしもの・ホノカゲだったのね。息子でありながら母親の「僕がいなくなった後」を心配するなど、匂わせて来た手がかりがここで繋がるのよ。山の神に仕えていたホノカゲは、自身の「人と交わると、そこに繋がりのある人間の姿になって周りと繋がりを得てしまう」という力を厭い、深い関係になった後の別れの苦しみや、彼が去った後は彼のことを誰も彼もが忘れてしまうことの寂しさを思ってさすらう日々を送っていた。その旅程にも疲れ、木に還ろうと決めて洞に潜り眠りについたホノカゲだったのだけれど、彼が終の棲み処と定めた古木に設えられた祠に、悲しいことも嬉しいことも欠かさず伝えに来る女性がいたの。祖父のたった一度の口伝を守り愛おしむように祠に通ってくる女性が津村容莉枝だったのね。

 

 今にも雪が降り出しそうな空模様のある日、いつものようにやってきた容莉枝は祠の前で慟哭し、雪が降り出すまで暫くの間、哭き続けていた。それを見ていたホノカゲは彼女の悲しみの所以が気になってしまい、自然へ還ろうとした決心も揺らぎ彼女の後を憑いて行ってしまう。容莉枝を狙う妖怪の姿を見て咄嗟に追い払ったとき、容莉枝の息子が山の事故で亡くなっていたこと、そして自分が今、その息子に「なった」ことをホノカゲは悟るの。以来8年に渡って、彼は容莉枝の息子として、彼女を支え見守ってきたと夏目に語る。このたびの騒動の遠因が自分の力にあることを受けて、移ってしまった妖力を身に引き受け自分が木に還ることを思い立つホノカゲに、夏目は「容莉枝さんはどうするのか」と詰め寄るわ。

 

 ちょっとした擦れ違いで、分かり合えないことがあるわ。

 同じように、ちょっとしたはずみで掛け違えていたものがぴたりと合わさることもある。

 人間より遥かに長い寿命をもつあやかしものの記憶、という装置の特性を遺憾なく発揮した所に、本作の見どころがあると思うわ。儚い人間たちの関係だけでは解決し得なかった蟠りが、見方を替えあやかしものの目に移り、その情景が時を超えて別の人間の心で得心と安堵、そしてカタルシスという三つの実を結ぶのよ。

 

 悠久に生きる者が「誰にも覚えていてもらえない」ことを淋しく想う一方で、刹那に生きる者は「誰にも覚えていて欲しくない」と語る。価値観が違うからこそ、興味が湧いて、興味は愛着へ、そして慕情へと育っていく。夏目から名を返してもらったホノカゲが、「僕だけは彼女のことを覚えていようと思った」とレイコのことを語る声音の優しさは、まるで涙腺に直接話し掛けられているようだったわ。高良健吾の声が、椋雄・ホノカゲがその眼に映す温もりに充ちた情景に彩りを与える様子だけでも、この映画は観る価値があると思うの。

 

 椋雄として、最愛の息子として容莉枝の傍で暮らしたホノカゲが夏目に、「彼女が悲しみを乗り越えるのを見守ってあげてほしい」と頼んで消えていく。時を同じくして双眸から涕を溢れさせる容莉枝。彼女のもとを訪ねた夏目が目にするのは、「空を飛んでいる鳥が見えた」「きっと、椋雄なんだって思えた」と容莉枝が語った、彼女の切り絵に刻まれたホノカゲの姿だった。

 エンディングがまた素敵ね。死を喪失ではなく、自然への帰還として位置づけて、そうして自分たちのもとを去って行った者たちがいつでも見守ってくれていると願った人の心を過たず歌い上げるエンディングテーマも必聴よ。映画の世界観とこれ以上なくマッチする、儚さと力強さが綯い交ったUruの天性の歌声が、貴方の鑑賞後の心地よい疲労感に素敵な感傷をそっと添えてくれるわ。

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 ねえ、思うの。儚さすらも思い出に見せてしまうような、幽けき幻に掻き立てられる想望の念こそが、実は私たちの人生の意味なのでは、って。整えられた上辺じゃなくて、豊かな感情に振り回される生き物の本性に私たちが還って行く想いが、そうさせるんじゃないかって。

 優しく哀しい嘘だって、誰かにとっては奇跡の実なのよ。私は、その残酷で美しい幻に過ごした時間を、その温もりを詰ることが出来ないわ。

 朝日を浴びて雪が解けても、今夜の記憶は、私たちの中に残る。今にも雪が降りそうな夜に、大切な人と連れ立って泡沫夢幻の物語を観に行くのも、たまにはね。

 

(続く)