速水奏の映画メモ

アイドル・速水奏が古今東西の映画について語る企画『速水奏の映画メモ』

蛍火の杜へ(2011)

水奏の映画メモ

魔に魂を売ることで、あらゆる享楽の願いがかなうとしたら、どうするか。メフィストフェレスは人の身で能う願いの代償とし魂を欲した。「時よ止まれ、汝はいかにも美しい」――この短い文言には、人間の身体が経験する無常に変わりゆく瞬間と、人間の精神に記憶される永遠の時間への憧憬が過不足なく混在する。

 間に限りがあるからこそ掻き立てられる欲望の最たるものが、美への執着に違いない。「その時を掴め」「その一瞬を掴め」……そう、己の生きざまで私たちをインスパイアし続ける速水奏が、今夜は可変と不変という終わらないテーマに取り組む。

 

 (文責・鷺沢文香)

  

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 大丈夫、私の手を取っても、私は消えないわ。

  私が思うに、この作品のキーワードは『変化』と『不変』。

 

 人間として成長し老いていく竹川蛍は変化の存在であり、人とも妖怪ともつかない時を止めたギンは不変の存在。刻々と変わっていく蛍が変わらないギンに願う『忘れないで』という心と、変わることが許されないギンが変わって往ける蛍に希う『忘れてもいい』という心は、日本人の心にある同じ杜の原風景から出発した、同じものを別々の視点から見たものに相違ない。

 

蛍火の杜へ』、2011年に封切りされた、44分の中編アニメーション映画。原作は緑川ゆきの同名の漫画作品。ええ、そのとおりよ。『夏目友人帳』の、緑川妖奇譚で、『夏目~』の制作陣が腕によりをかけているの。

 私がアニメを持参したことが驚きかしら?ふふ、実写映画の恋愛はどうにも近すぎるけれど、次元ひとつ分くらいの距離感なら、それも面白いじゃない。奈緒――神谷奈緒が私に貸してくれたのだけれど、ね。彼女とも見直して、解説を聴いたりもして。率直に言って、気に入ったわ。

 

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映画『蛍火の杜へ』予告編

 

 大都会・横浜から、夏は暑く冬は冷え込むという盆地にある祖父の家に遊びに来るのが、竹川家の毎夏の過ごし方だった。六歳の女の子・竹川蛍(CV.佐倉綾音)は、危ないから近づいてはならない、といわれている『山神の森』に迷い込んでしまい、そこでこの森の住人であるギン(CV.内山昂輝)に出逢い、彼に導いて貰って森を出ることが出来たのね。人間のような姿かたちをしているギンは、山神の術によって、人に触れられると消滅してしまうという。蛍は、それから夏が来るたび、『森』を訪ねギンと逢うことを心待ちにするようになった――

 

 

 棒を媒介に手をつなぐ。凧の糸を通して手をつなぐ。お互いの手首を布で結び合うことで夏祭りの夜に手をつなぐ。

 蛍がギンにマフラーを渡すときも手は触れられず、ひとりで冬を乗り切る蛍が鞄を持って登校する場面では取っ手を握る少女の手が何度か大写しになる。人肌に触れることが能わないギンが手を伸ばすことを逡巡するのに、同級生の男子は躊躇いなく手を伸ばして繋いでくる。

 触れたいけれど、触れられない。そのジレンマを、劇中で幾度も差し挟まれる『ものを持つ手元を映すシーン』が通奏低音のようにさりげなく、しかし確かな存在感で描いてクライマックスに募らせていくのが圧巻よ。44分の中編アニメーションの中でさまざまなシーンの連関が紡ぎだす映像効果が計算し尽くされているのは素直に脱帽だわ。

 

 ノスタルジックな作品が心を洗い流していく一方で、どこかに鋭い感傷の痛みを残していくのは。それは、私たちが老いて消えゆく存在であることを知らずに生きてゆけないから。成長する過程で、その残酷だが変え得ない真実に直面した時に、時間は永遠だと思っていた幼子だったときの記憶を思い出しては、その頃は不変だと思っていたものがすべて朽ちていくものだという気づきの上で、どこにもない不変の原風景へと憧憬を焦がしてしまうから。

 東洋では夏とは生の季節であると共に、死の季節でもあったわけだわ。不変であるように見えて、ギンの中でも、蛍が帰って行きひと夏が終わる時、何かが死んでいたというのがわかるから、コミカルな絵柄なのに、真に迫って切ないの。

 また、緑川作品の妖奇譚の特徴である、「人ならざるものを思って人が作った儀式や文化を、人ならざるものたちが取り入れて楽しむ」という逆転の楽しさが華を添えているのもチェックよね。高校生になった蛍を妖怪たちの夏祭りに誘うギンが、「人の祭りをマネて遊ぶ」という科白にそれがぎゅっと詰め込まれていて、独特のテイストを醸し出している。

 

 俳優たちの演技にも触れてきたように、今日は声優さんの演技のお話をするわ。

 佐倉綾音さんの、声の演技の妙が抜群。メディア露出もガンガンして、ともすればアイドルかのような熱狂と歓迎を受けることもある若手女性声優さんの中にいて、「声優は裏方」と割り切るような控えめなスタンスでも知られているけれど、だからこそ「声を当ててキャラクターに命を吹き込む」という技術に並々ならぬ熱意を持っているんだろう、そう察せられるし、納得させられてしまうような卓越した演技がある。

 同じ一人の人間なのだけれど、幼い頃、中学校に上がり立ての頃、高校卒業を控える頃、そして大人になって、とそれぞれに別々の『竹川蛍』がいる。別々、といっても同一人物である以上やはり通底するものは同じで、そういう小さくも大きい差を演じ分けている天才だと思ったわ。同時に、彼女はきっとセンスだけでなく、様々な研究や工夫といった努力を重ねて到達する領域にいる。ひとりの女性の『可変の部分』と『不変の部分』、この解釈が本当に絶妙で、それが最もエッジを聞かせて私たちの胸を衝くシーンのひとつが、作中に別々のシチュエーションで2回出てくる蛍の「デートみたいですねぇ」という科白。これは是非あなたの目と耳でチェックしてほしいところね。

 

 アニメーション映画というのは、日本文化として世界に浸透し胸張って発表して行ける一大産業であると共に、媒体としての力を今一度見直すべき『夏』の時期を迎えている、と思うのよ。昨年(2017年)では『君の名は。』が記録的なヒットを飛ばし、続く『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』などのアニメーション映画にも今まで以上の衆目が集められた年だったが、私はこの二つを較べるなら後者の方が優れたアニメーション映画だと感じてしまうのよね。もっといえば、『君の名は。』はアニメーション映画としてはレギュレーション違反ですらある、と思う。というのは、油彩は油彩でしか、水彩は水彩でしか描けないものを描くときにこそその真価が発揮されるように、すべての表現形式はそれでしか表現し得ないものを希求する宿命があると思うから。この点で『君の名は。』はアニメという表現方法を活かしきれなかったきらいが否めないじゃない。あの圧倒的な映像美で、実写では取り得ない台本を描き下ろしたらどれだけのものが作れたか、というところがずっと引っかかってしまっているの。脚本が『君の名は。』に比べて明快ではなかったからか、『打ち上げ花火~』は観に行っても戸惑った人が多かった、という結果になったけれど、ライトノベル原作をトム・クルーズエミリー・ブラントのコンビがやって注目を浴びた『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)をアニメの技法でやるようという実験的な内容は正しく評価されて然るべきだと思った次第。綺麗な色が観たいだけならアニメを見なくとも、別にパステルや絵の具を眺めていればいいじゃないの。

 

 この『蛍火の杜へ』がアニメーション映画として優れているのは、目線が変化していく主人公の切り取る世界を常に「三人称視点」で切り取り続けることに成功しているから。だから、佐倉綾音の一人称のナレーションが優しくかぶせられる映像美の中に、客観性が失われないという瞠目の効果が保たれている。オーディエンスが竹川蛍に感情移入しきってしまっては失敗だった、というのがわかるわ。なぜなら、可変の存在である竹川蛍が苦悩するのと同じように、不変の存在であるギンの苦悩を同時に描いて初めてこの『蛍火の杜へ』が完成するから。変化するからこそ一瞬一瞬が鮮烈で、思い出はより尊く美しく保たれる。また来年、という約束が過渡期の人間にとってどれほどに惨酷な約束かを描くと共に、変化から隔絶された者にとって取り残される悲しみがどれほどに堪え難かろうものか――

 懐かしさ、というのは減ることがないのよね。増えていく一方。

 本質的に違うふたつの心がひとつに重なる瞬間が、最高にかなしい一度きりの抱擁ふれあい。後にも先にも二度と触れ合うことがない悲恋だから美しい。盆地と山脈の対比的な風景、縁側のある日本家屋、御社のある杜、土着の信仰……そういったものに培われてきた私たちの精神性に、『一期一会』という的確な言葉を見つけることができる。

 

 三人称視点で客観的に切り取られ続けた悲恋が終わったときに、エンディングでかかる曲が「夏を見ていた」というタイトルなのはこれ以上ないくらいの効果を上げている。

 音楽を手掛けたのは今までに4期制作されている夏目友人帳シリーズを通して劇伴制作に携わっているピアニストで作曲家の吉森信。あの絵で妖怪譚となれば、この人しかいない、という仕上がりで、コミカルなところはコミカルに、シリアスなところはシリアスに、ひとつの画面効果として曲が引き立ててくれる。私はサントラを買ってしまったわ。

蛍火の杜へ オリジナル・サウンドトラック 季節の瞬き

蛍火の杜へ オリジナル・サウンドトラック 季節の瞬き

 

 監督は夏目シリーズの総監督を務める大森貴弘。彼はこの『蛍火の杜へ』で、第66回毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞しているわ。毎週放送の連続アニメで培われた手腕は確かなものだった、ということね。

 

 一本映画をみようと思い立つと、たいていのものは2時間弱くらいからだし、隙間時間や空き時間に、というわけにはなかなかいかないのよね。そんなとき、この44分の郷愁を体験してみるのは、いかがかしら。

 

  花の命はいつか散るもの…さればこそ、今を生きよと告げるのね。そう…私も撮られるのは好きよ。美しさがうつろいゆくものなら、留めておきたいのは人の願いじゃない。貴方もそうでしょ?いつか散る花でも、悲しむ必要は無いわ。今という時を、その分大切に生きられるから……

 

(続く)